に出てくる伝記「ファインディング・フリーダム(自由を見いだして)」とは、




のこと。
いずれ日本でも翻訳されるでしょう。

紹介文を見る限り、




のように、宮廷内の旧弊や官僚的気質への批判を念頭に置いている予感。


明治憲法の頃、政界と宮廷との関係は微妙なものでした。
立憲君主制の建前が揺らぐ程度には。

内大臣の研究: 明治憲法体制と常侍輔弼
松田 好史
吉川弘文館
2014-11-04



キーパーソンの一人
回顧録(下) (中公文庫プレミアム)
牧野 伸顕
中央公論新社
2018-05-22



さて、日本国憲法の下でも、皇室構成員と政界との関わり合いは、
時として、国務大臣のクビが飛ぶ程度の事態を招きます。

「主権の存する日本国民」(日本国憲法1条)がいるにもかかわらず。
天皇は「国政に関する権能を有しない」(憲法4条)にもかかわらず。

皇室構成員の言動が憲法1条4条との間に矛盾を引き起こすことは、
民主制にとって、干渉。となります。
たとえその言動が、賞賛されるものであっても、唾棄されるものであっても。
民主制を貫徹するためには、皇室構成員は空気でなければなりません。
しかし、一切無言では「象徴」どころか「不存在」となりかねません。「ていうか、天皇って、いる?」と。
かといって、内閣の「助言と承認」の下、内閣のマリオネットと化してしまっては、「象徴」ではなく「傀儡」となってしまいます。「ていうか、天皇って、宣伝道具じゃん」と。

なので、「おことば」の憲法上の位置付けが、憲法上問題となるのです。

これは「おことば」に限った話ではありません。
皇室構成員のすべての言動が、「不存在」や「傀儡」のリスクを伴うのです。
どういうの言動が、「不存在」や「傀儡」のリスクを回避できるのか。

これは、民意次第。
裁判に掛けられる(皇室構成員に民事裁判権が及ぶか否かについては省略)までもなく、
「何となく」決まっていく。
「何となく」です。
民意形成の過程は、皇室構成員にとって、不明瞭な過程だから。開票速報とかないですし。

選挙されていない終生安泰に見える皇室構成員たち、
実は民意に大いに左右される不安定な立ち位置です。

最後に、ヘンリー王子の過去の言動は、日本国憲法に照らすと、間違いなくに国会で非難決議が出る程度のものです。

もし、宮廷内の旧弊や官僚的気質を、何の考えもなく「全て」取っ払ったならば、果たして皇室は日本国憲法から消えずに済むのか、という難題は……憲法改正の枠を越えそうなので、省略。